ハリウッドは、クリストファー・ノーランから学ぶべきことが山ほどある※本記事には映画『オデュッセイア』のネタバレが含まれます。 映画ファンよ、オールを取って出航の準備を整えよう。クリストファー・ノーラン監督の最新作『オデュッセイア』が、いよいよアメリカで劇場公開を迎えた。伝説的映画作家が満を持して挑んだのは、ホメロスの手によるとされる古代最古の叙事詩であり、文字通り歴史上もっとも古い物語のひとつだ。トロイア戦争の英雄オデュッセイア(マット・デイモン)が、故郷イタカ島を目指す10年におよぶ過酷な帰還の旅。数千年にわたり無数の語り手に影響を与え続けてきたこの伝説に、現代最高の監督のひとりが挑むのは、まさに必然と言える。 批評家の反応を見るかぎり、『オデュッセイア』はノーランにとってまたしても輝かしい勝利となったようだ。各紙で絶賛を浴びており、IGNのスコット・コルラも8/10のスコアとともに「絶対に観るべき映画体験」と評している。娯楽として映画館を楽しみたい層にとって、文句なしの満足度が得られる作品なのは間違いない。しかし、それ以上に「芸術としての映画」を愛する者にとって本作は、昨今の大手スタジオの予算規模ではめったにお目にかかれなくなった、ひとつの理想像を示している。それこそが「揺るぎない世界観のなかで描かれる、監督個人の作家性あふれる大作映画(ブロックバスター)」だ。『オデュッセイア』がいかにして大作映画の未来に希望をもたらしているのか、紐解いていこう。 緻密に作り込まれた「迫真の世界」 ジャンル映画の歴史を振り返ったとき、人々の記憶に深く刻まれカルチャーとして定着した作品には、ある共通点がある。それは、観客が完全に没入できる「世界」が存在することだ。『ロード・オブ・ザ・リング』の「中つ国」、『マトリックス』のサイバー・ディストピア、そして『スター・ウォーズ』の「遥か彼方の銀河系」。これらの世界には確かな「迫真性(verisimilitude)」――そこに本当に存在するかのようなリアリティがある。そしてそれは、作品内部における整合性と、作り手側の真摯なアプローチによってしか成し得ないものだ。 勘違いしないでほしいが、これは世界観が現実的(リアル)でなければならないという意味ではない。実際、時代錯誤な衣装デザインや異形の怪物たちが登場する『オデュッセイア』は、現実とは程遠い世界だ。重要なのは、アーティストたちがその架空の世界を「真剣」に扱っているかどうかであり、だからこそ観客もまたそれを真剣に受け止めることができる。 このアプローチは、近年の大作映画――特にマーベルやDCに代表されるスーパーヒーロー映画のトレンドとは対照的だ。最近の映画製作者たちは、自らが作る世界を自虐や皮肉(アイロニー)で処理しがちである。現代のブロックバスターにおけるコメディの多くは、自分たちの世界観や設定そのものを茶化すことから生まれており、結果として観客がその世界を本物として信じることを拒んでしまう不誠実な姿勢を生み出している。 最近の例を挙げるなら、『マスターズ・オブ・ユニバース』で緑のトラや喋る鳥が出てきたときに、登場人物たちが「正気じゃない」などとツッコミを入れてしまうなら、なぜ観客がエターニアの世界を信じられるというのか?ユーモアを使って世界観を深めること自体を否定するつもりはない。だが、架空の世界をいい加減に扱うことは作品の品格を損なう。これは、年々悲惨さを増すCG背景や、人が実際に生活している場所にはとても見えないハイパー・スタイライズされたセット(『DUNE/デューン 砂の惑星』、『PART2』、君たちのことだ!)にも同じことが言える。 ノーランはホメロスのギリシャ世界を、落ち着いたナチュラルな映像スタイルで描き出した。これにより、物語本来のファンタジー要素がありながらも、観客がすんなりと世界観を受け入れられる絶妙なリアリティを生み出している。カラーパレットが色褪せていると感じる者もいるかもしれないが、私はむしろ控えめで美しいと主張したい。荒廃し崩壊しつつある世界において、時折差し込まれる鮮烈な色彩が力強いエネルギーとして弾けるからだ。この姿勢はプロダクションデザインのあらゆる面に貫かれており、実在のロケーション撮影と大量のエキストラによって、人間が生きている「空間の匂い」を見事に創出している。 オデュッセウスや仲間たちの甲冑・兜の歴史的考証について歴史家が文句を言おうと、あるいは豪華なキャスト陣の中に地中海沿岸にルーツを持つ俳優がほとんど見当たらないと指摘されようと、ノーランと彼のチームが並々ならぬ労力を費やして構築した舞台装置は揺るぎない。『オデュッセイア』が観客を物語に没入させるために必要な頑丈な土台となっている事実は変わらないのだ。そしてこの土台づくりこそ、ノーランが目指す物語表現を機能させるために不可欠なプロセスだった。 『オデュッセイア』は実際のロケ地と多数のエキストラを駆使して、作品全体の雰囲気を演出している。 叙事詩たるスケール感 ここでいう「叙事詩(エピック)」とは、作品のクオリティを指す言葉ではなく(もちろん映画自体も素晴らしいのだが)、ジャンルそのものを指している。「Epic」という言葉は、もともと特定の物語形態――まさにホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』に代表される古の「叙事詩」を定義するために生まれたものだ。原本の長さを考えれば、『オデュッセイア』の正当な映画化には相応の尺が必要だが、ノーランのアプローチは単に時間が長いだけでなく、作品全体に「叙事詩的スケール感」を宿らせることに成功している。2時間、あるいは3時間超の尺がありながら存在意義を感じさせない映画も多いなか、『オデュッセイア』はその長さをフルに活かし、緻密な回想シーンと緻密に計算された伏線回収によって、世界観と物語をたっぷりと味わわせてくれる。 20年という年月が過ぎ、オデュッセウスが懐かしい故郷の地に足を乗せるまでの絶望的な疲労感、彼の旅の重みを、観客自身が身をもって共感できるように作られているのだ。叙事詩の持つ壮大な物語とオムニバス的な構造を、簡潔さと感情のクライマックスを重視する「映画」というメディアに落とし込む作業は、いかなる映画監督にとっても至難の業だろう。「配信のミニシリーズ(ドラマ)にすべきだった」と観客に吐き捨てられるような『オデュッセイア』を想像するのは容易い。だからこそ、ノーランとその仲間たちが映画的ストーリーテリングのトーンとリズムを熟知していたのは、我々にとって実に幸運なことだった。 映画は感情の糸を見失うことなく、あまりに多くの登場人物とサブプロットの間を交錯していく(編集のジェニファー・レイムには今すぐ賞を贈るべきだ)。キクロプス、ライストリューゴーン族、セイレーン、冥界下りといったオデュッセウスの冒険の各「エピソード」は、物語の流れを止める中断要素になるどころか、連鎖反応を起こす波乱として機能し、彼のクエスト全体を限りなく圧倒的なものへと高めていく。 原作に対するノーラン流の解釈における最大の強みは、そのスケール感にある。これは彼のもっとも野心的な構想であると同時に、もっとも戦略的な選択だった。『オデュッセイア』は、気の遠くなるような時間を使って観客への快感を焦らす。だからこそ、イタカへの帰還、妻ペネロペ(アン・ハサウェイ)や息子テレマコス(トム・ホランド)との再会、そして長年彼の家族を苦しめてきた求婚者たちへの報いの時を待つ緊張感は、ほとんど耐えがたいほどに高まっていく。だが、自らが夫であることを証明するためにオデュッセウスが引き絞る巨大な弓のように、緊張が極限に達した瞬間に、我々が必要としていた最高のカタルシスが解放されるのだ。 その後、繰り広げられるクライマックスのアクション――オデュッセウスがテレマコスや忠実な僕エウマイオス(ジョン・レグイザモ)の手を借りて求婚者たちを虐殺するフィナーレは、ノーランのフィルモグラフィの中でも屈指の満足感を誇るシークエンスとなっている。なぜなら、登場人物と観客の感情が完全にシンクロしているからだ。トロイアでのオデュッセウスの非道さや彼が世界に与えた影響の複雑さに思いを馳せさせられようとも、我々はみな、彼がようやく我が家を取り戻す瞬間を観たかったのだ。 …
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