『グランド・セフト・オート』の象徴的ビジュアルはいかにして確立されたか――元ロックスターのアーティスト、スティーブン・ブリスが語る

「あの伝統が今も息づいていることには、胸を打たれるものがある」スティーブン・ブリスという名前に、すぐには聞き覚えがないかもしれない。だが、現代において最も大きな影響力を持つゲームシリーズで彼が手がけた仕事を目の前にすれば、見覚えがない者など誰一人いないはずだ。2001年から2016年までロックスター・ゲームスでシニアアーティストを務めた彼は、ポップアートやコミックの質感を取り入れた独自の表現を確立し、それが『グランド・セフト・オート』を象徴する視覚的トレードマークとなった。IGNはルッカコミックス&ゲームズの会場で彼に接触し、同シリーズでの仕事や退社後の活動、さらには『GTA』という巨大なブランドから離れて個人の名を確立しようともがく中で、自らが残した視覚的影響が後続の作品に生き続けている現実をどう受け止めているのか、その胸中に迫った。 ――以前のインタビューで、「単に『GTAの人』として知られたくはない」と語る一方で、自分の作品が広く知られ、人々にインスピレーションを与えていること自体は肯定的に受け止めているとおっしゃっていました。この10年間、その二面性と向き合うのは難しかったのではないでしょうか? スティーブン・ブリス: ロックスターから離れ、ファインアートの世界で名を上げたいと思っていたし、自分自身のIPやコンテンツ、カトゥーンを作りたかった。それはある程度うまくいっているし、キャリアとしても着実に強固なものになりつつある。だが、ロックスターで働いた経験が私にもたらしてくれた恩恵を無視することはできない。あそこに採用され、長い間働けたことには深く感謝しているんだ。『GTAIII』、『バイスシティ』、『The Warriors』の後、イラストレーションディレクターを13年務めたアンソニー・マクベインや、元ビジュアライゼーションディレクターのスティーブン・オールズといったチームが合流した。2人とも素晴らしいアーティストだ。だから、人々から私の作品が好きだと言われても、手放しでその賛辞に酔いしれるわけにはいかない。他の仲間たちも関わっていたわけだし、すべてを私が一人で作ったかのように思われたくはないんだ。以前の発言で私が言いたかったのは、すべての功績を独り占めしたくはない、ということだった。 サイン会などで『GTAV』のパッケージを持ってこられることがあるのだが、私は「申し訳ないが、これには関わっていないんだ」と断っている。相手は残念そうな顔をするが、自分が何を手がけ、何を手がけていないのかは明確に伝えなければならない。もちろん、ロックスターに対して私が多大な貢献をしたのは事実だし、先ほど言ったように感謝もしている。ブースの前を通りかかる人たちを見ていると、私の個人の作品や『Fear City』、バンド向けに描いたライブポスターやコミックの原稿が並んでいるのに、彼らが真に関心を示すのは『GTA』にサインをもらうことだったり、ルッカのために描いた『GTA』風のポスターだったりする。だが、それでいいんだ。それだけ優れた仕事を成し遂げたという証拠なのだから。 ――あなたが成し遂げたことは、業界のスタンダードとなり、ひとつのスタイルを確立しました。他にも貢献したクリエイターがいるとはいえ、アーティストとして、それは肯定的な手応えとして捉えられるものですか? スティーブン・ブリス: 例えば『GTA VI』のカバーアートを見たときのことだ。私はあの制作には一切関わっていない。だが、今でもボックスを分割するグリッド構造が使われ、左上の角にヘリコプターが配置されているのを見ると――それはかつて私が生み出したレイアウトなのだが――誇らしい気持ちになる。あの伝統が今も息づいていることには、胸を打たれるものがあるよ。『GTA VI』のアートワークにも私の影響は残っているが、あれはあれで独立した独自の表現言語になっている。私のかつての仕事が、細かな参照点として残されているにすぎない。「なるほど、あれを使ってくれたのか、嬉しいね」と感じる程度で、私が大きく貢献したなどと言うつもりは毛頭ないよ。 ――物語の一部を切り取って人々を一気に引き込みつつ、物語のすべてを語りすぎないように表現する。それは難しい作業でしょうか? アーティストとして解くべきパズルのような挑戦ですか? スティーブン・ブリス: まさにその通りだ。ロックスターを離れて以来、私の作品に欠けていると感じるのは、人々の情緒的な繋がりなんだ。『GTA』のアートには、あの作品を見て育ったプレイヤーたちとの強い感情的な絆があった。最近、それが私にとって大きな教訓になっている。これから自分が手がけるものは何であれ、人々と情緒的な結びつきを生み出さなければならないと気づいた。たとえ人体構造のデッサンが破綻していようが、あるいは逆に細部を完璧に描き込もうと神経質になろうが、誰かの感情に響かなければ、そこに断絶が生まれてしまう。だから今は何らかの感情的な繋がりを作ろうと模索しているところだが、具体的にどうすればいいのかは、まだ完全には掴めていない。 ――そこに何かコツはあるのでしょうか? それとも、手探りで感覚を掴んでいくしかないものですか? スティーブン・ブリス: 退社してからの10年間、ずっとそれを模索し続けている。ニューヨークに来る前に弟と立ち上げた『Steroid』というプロジェクトがあるのだが、それも復活させようとしているところだ。他にも『Fear City』というIPや『Looby』という暗号資産プロジェクトも持っていて、今の私の野心は、これらすべてを「スティーブン・ブリス」というひとつのブランドに統合することにある。今私に足りないのは、資金を出してくれる人間と、それをマーケティングしてくれる存在だ。その2つが決定的に欠けている。資金を出そうと近寄ってきた連中はいたが、どいつもこいつも口先ばかりのまがい物だった。いつかまともな人間が現れて、きちんと投資してくれることを願っているよ。 ――ダン・ハウザーがIGNのインタビューに応じた際、あなたのことや、9.11同時多発テロを受けてカバーアートを急遽変更した件について言及していました。あの作業プロセスについて、何か覚えていることはありますか? 缶詰めになって徹夜続きで、すべてを塗り替えるような過酷な作業だったのでしょうか? スティーブン・ブリス: 「暴力描写のない『GTA』のカバーを描いてくれ」という要求は、確かに無茶な話だった。だが当時の状況を考えれば理解はできた。私自身、「これからのエンターテインメントはミュージカルやコメディ、ディズニーばかりになってしまうのだろうか? 暴力描写が含まれる作品をどうやって売っていけばいいのか?」と考えていたくらいだからね。誰にも先が読めなかった。私は本気で「これからはミュージカルの時代になる」と思い込んでいたんだ。だから修正を求められたとき――白を基調とした『GTAIII』のカバーを描くのに6カ月も費やしていたにもかかわらず――私の頭の中には常にグリッドシステム(分割レイアウト)の構想があった。「どうやって切り抜くか? 暴力的なイメージを排除して切り抜いた絵をどう並べるか?」と考えたとき、私はマーベルやDCを読んで育ったから、アメコミのようなコマ割り状のグリッドに落とし込んだんだ。先日、10歳の頃に描いた絵が出てきたのだが、それがまさにあの『GTA』のカバーを想起させるものだった。 実質2晩ほどの作業だったと思う。完全に徹夜したわけではなかったはずだ。時々、自分の発想の早さに我ながら感心することがある。財務や投資の分野にはからきし弱い私だが、抽象的なアイデアを閃くスピードだけはかなり速い。あのカバーの構想も、そうした大きな閃きのひとつだった。 ――マーベルやDCの作品の中で、『GTA』のカバーアートやご自身の作品全般に長く、あるいは決定的な影響を与えた特定のシリーズやコミックはありますか? スティーブン・ブリス: 子供の頃から今も手元に残しているコミックのコレクションを見返すと、『スパイダーマン』と『タイタンズ』だった。子供時代の本で今も持っているのは『ハルク』と『スパイダーマン』だね。今でもスパイダーマンとハルクは大好きだし、映画で彼らの姿を見るだけでもワクワクするよ。

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