『ウィキッド 永遠の約束』レビュー 主演2人の演技は圧巻、それでも問題山積の続編

『Wicked: For Good』あるいは『Wicked: Just OK』『ウィキッド 永遠の約束』の中盤、数ある楽曲のひとつがクライマックスを迎える場面で、シンシア・エリヴォ演じるエルファバは、わずらわしい輝きを持つオズの太陽を背にして強烈な逆光の中に立たされる。この太陽は事あるごとに画面に入り込もうとしてくるのだ。カメラがゆっくりとパンしていき、ああ、やっとこの映画で何が起きているのかを見るために目を細めなくて済む――そう思ったのも束の間、画面はやがて巨大な滝を映すが、その滝がまた同じ太陽の光を反射しており、主人公の姿を再び逆光の中に隠そうとしてしまう。 このささやかな例を挙げたのは、『ウィキッド 永遠の約束』の中心にある問題を示すためだ。本作には前作の抱えていた問題がすべて残っている。そのうえ、よく知られているように、ミュージカル『ウィキッド』の第2幕が第1幕ほどは優れていないという事実まで重なり、問題に拍車をかけているのだ。 具体的な年数は示されないものの、物語の舞台は数年後へと飛ぶ。狡猾な魔法使い(ジェフ・ゴールドブラム)と、その代弁者たる“善い魔女”グリンダ(アリアナ・グランデ)は、緑色の肌を持つ“悪い魔女”エルファバ(シンシア・エリヴォ)こそが最大の敵だとオズの民衆に信じ込ませている。一方、森へ追放されたエルファバは、魔法使いのまやかしを暴き、次第に言葉を忘れつつある動物たちの命を救おうと固く決意している。 きわめてシリアスな設定の、きわめてシリアスな映画だ。そこには第1幕=『ウィキッド ふたりの魔女』にあった軽やかで弾けるような華やかさはもはやない。この物語の陰鬱な後半が抱える問題はそこにある。登場人物たちと初めて出会う楽しさはすでに味わい尽くしてしまっており、残されているのは、彼らが自分自身を不幸にしていく様子を見守ることだけなのだ。 これは奇妙なトーンの転換であり、この作品世界が本質的に持っている荒唐無稽さとどうにも噛み合わない。ミュージカル『ウィキッド』は、非常に荒唐無稽な設定の物語をきわめて真摯に描く作品である(私自身ファンとして言っている)。だが舞台版には、思わず笑ってしまうような発音の言葉だったり、絶妙なタイミングで差し込まれるちょっとした一言だったりと、そうした前提としての滑稽さに軽く目配せする瞬間が必ずあった。 それに対して『ウィキッド 永遠の約束』は、まるで戦争映画を見ているような気分にさせられる。アクションシーンがあり、胸をえぐる人間ドラマがあり、さらには難民の逃避行という過酷な場面まで登場する。その逃避行は、本作に2曲あるオリジナル楽曲のひとつであり、「クソどもに屈するな」と聴く者を鼓舞する沈痛なアンセム「No Place Like Home」の背景にもなっている。 本作が自らに課した過剰なまでの深刻さによって、「言葉をしゃべる動物たち」や、「自らを“マンチキン”と呼称する集団」といった要素が、かえってちぐはぐに感じられてしまう。そもそも「ダークで陰鬱な『オズの魔法使い』」というアプローチは、多くの子供たちにトラウマを与えた1985年の映画『オズ』(原題『Return to Oz』)や、2007年のミニシリーズ『アウター・ゾーン』(原題『Tin Man』)ですでに試みられている。そして残念ながら(もう一度、私自身ファンとして言うが)、あの当時もうまくいっていたとは言い難かった。 そこに加えて、そもそもこうした描写の大半がよく見えないという問題もある。監督のジョン・M・チュウと撮影監督のアリス・ブルックスは、太陽やランタン、あるいは壁一面に並ぶ松明の光を背後に、あらゆる場面を逆光で照らすという演出を本作でも継続している。おそらく前作と同時に撮影されたためだろうが、すでに前作の時点で、この手法に対しては批評家やファンからの批判があった。続編である本作は、言葉のあらゆる意味において前作よりも暗い作品になっている(ありがたいことに、グランデが登場する場面の多くは別だが)。中には照明があまりにも暗く、エリヴォの顔がほとんど判別できない場面さえある。 それだけに、なおさらもどかしい。前作同様、俳優たちが闊歩する豪奢な空間づくりに大変な労力が注がれているのは伝わってくるからだ。監督のチュウは、自身が過去に手がけた『クレイジー・リッチ!』の結婚式のシーンをも凌ぐスケールで、花々にあふれた、妖精の女王の舞踏会のようなパーティーをグリンダに用意する。また、ヴィランの凱歌とも言える「No Good Deed」の場面で、エルファバが自らの隠れ家へと変えていく塔は、まるで『ELDEN RING』に登場する戦場のようだ。 クールで実物感のあるセットが影に包まれる映像は、前作の過度に明るく色褪せた照明よりは多少ましかもしれない。しかし本作では、登場人物たちの配置や動きがしばしばひどく静的であるため、結局のところ、セットの中を人々が歩き回っているのを眺めているだけのような感覚が残る。

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